「社会人としての常識」定義は人それぞれ違うから真に受けなくていい

こんにちは、りのです!

わたしが20代前半のとき、仕事でミスをした際に

「社会人として常識だよ」と怒られたことが何度かあります。

わたしはその時も、今も

「社会人としての常識」ってなんなんだろう?


と疑問に思っているので、今回はそのことについて書きます。

 
りの
人によって賛否ありそうな話題ですが、少しでも参考になれば幸いです。
 
じー
実はちょっとびびりながら書いてるよw

「社会人としての常識」の疑問点



最初に「いやそれ社会人として常識だから」言われたときは、

「そうなんだ。わたしって常識ないんだ・・・。」

と凹みました(笑)

言われるたびに、ショックを受けていました。

しかし、

倉庫のピッキング、映像制作会社での現場手伝い、

雑貨の販売と接客、レンタルスペースでの接客、カメラマン、

事務、電話応対、カフェのホールなどなど・・・。



いろんな仕事を経験していくうちに、

「社会人としての常識」に疑問を持ち始めました。

いろんな場所で働くうちに、

前の会社では正解だったことが、

次の会社ではNGだったことも出てきたからです。

「社会人としての常識」は職業にや会社によって

ルールは全く違ってくるものなんじゃないか?

と思い始めたのです。

常識は会社や人によって全く違う

たとえば銀行と映像制作会社では、

働き方もも180度違います。


休憩のとりかたをひとつとっても、

銀行は時間通りに、

映像制作会社はフレックスタイム制が多いので

ばらばらにとるパターンが多いかと思います。


わたしの経験では、

休憩時間をランチのお店の混雑によりうっかり5分多くとってしまった

休憩時間ではないけれど、5分くらいの仮眠をとる

このくらいのことには非常に寛容な職場にいたのですが

次に働いた会社では

5分たりとも休憩からの遅刻は許されず

仕事中に仮眠をとるのもご法度でした。

カルチャーショックでした(笑)


社会人として、常識でしょ



と言われましたが、

「いやそれ常識じゃなくて、単にこの会社のルールでしょ」

と内心思っていました。

言葉の使い方が間違っていると思うんですよね。

うちの会社ではこのルールが当たり前なんだよね


が正しい言い方であって、

社会全体がその常識(ルール)で、

すべての社会人がその常識を

守っているわけではないんですよね。

そもそも社会とは?

 

社会とは?

社会(しゃかい)は、ある共通項によってくくられ、他から区別される人々の集まり。また、仲間意識をもって、みずからを他と区別する人々の集まり。 社会の範囲は非常に幅広く、単一の組織や結社などの部分社会から国民を包括する全体社会まで様々である。
ウィキペディアより引用


そもそも社会とは、実態がありません。

家族もひとつの社会、

趣味のコミュニティも社会だし

会社ひとつも社会。

日本なんだから、日本の社会だろという人もいそうですが、

定義があいまいすぎます。

日本全体の社会が、休憩を5分遅れたら怒られる会社ばかりではないし、

仕事中に仮眠をとったらだめな会社ばかりではないことは確かです。

「社会人としての常識」って言ってる

「社会」って結局、その会社内での「社会」ですよね。

 

社会人とは?

社会人(しゃかいじん)は、社会に参加し、その中で自身の役割を担い生きるのことである。一般的には学生は除外される。 ただし一部の学生も社会人と呼ばれる場合がある。

日本語以外の諸外国語では日本で言うところの『社会人』をさす言葉はほとんど見られない。たとえば英語ではworker(労働者)やadult(成人)、citizen(市民)という単語はあるが、日本語の『社会人』にあたる単語・表現はなく、最も近い言語では『participant in civil society』。

ウィキペディアより引用

社会人もあいまいな言葉です。

社会の中の人。

何を根拠に社会人と言いますか?

お金をもらって働いている人?

成人した人?

家で家事をしている主婦は社会人ではないんでしょうか?

給料はなくても、人のために働いてますよね。

中学生にて、社長をやっている人は?

成人していなくても、がっつり稼いでいる人もいます。

さっき言いましたが、家族もひとつの社会なわけです。

そう考えると、

働いていない子供も社会人と言えるのではないでしょうか。

つまり、どの人も社会の中にいますから、

人間全員が社会人と言えるのではないでしょうか。

そもそも常識とは?

常識とは

常識(じょうしき)は、社会を構成する者が有していて当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと。[要出典]また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。対義語非常識(ひじょうしき)。社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。これは文化摩擦などとして表面化することもある。

ウィキペディアより引用

常識の定義もあいまいです。

常識とは「当たり前」とすることですが、

これも「社会」によって違います。

社会によって違うものは、果たして本当に当たり前と言えるのでしょうか?

「社会人としての常識」が人を縛り、苦しめる


「社会」も「社会人」も「常識」も定義があいまいなことに触れました。

だからこそ、

「社会人としての常識」に縛り付けるのは、

言われたその人も、

言った人も

人生にいい影響を与えない気がしてならないんです。

「社会人だからこうでなければならない」

「これが絶対常識である」

それは本当なんでしょうか?

自分のいる会社から一歩違う業界や職種に行ったら、

今思っている「こうでなければならない」に、

絶対に当てはまりますか?

また、「社会」「社会人」「常識」

これらの定義があいまいで人によって違うからこそ

使われた人も使った人も

それぞれの「こうでなければならない」という思いこみが生まれやすく

結果的に人それぞれの思いこんでいる定義に縛られてしまいます。

「社会人としての常識」この言葉に縛られて、

言った人も、言われた人も、生きづらくなるとわたしは思います。

「社会人としての常識」ではなく「人としてのマナー」

そうはいっても、

「社会人としての常識」と言われる場面は、

たいていは仕事場です。

仕事場では、お金をもらうかわりに労働を差し出しています。

会社は利益を出すことで成り立ちますよね。

だから、仕事を円滑にすることは、

会社で働く人にとって使命だと思います。

なので、

コミュニケーションの食い違いでミスがあったり

単純に態度がわるすぎるなど

最低限おさえておかなければならない点は

わたしもあると思っています。


でもそれは、

「社会人としての常識」ではなく

「人としてのマナー」だと思います。

・挨拶をする

・報告をする

・連絡は早めに


などなど、人として最低限クリアしたほうがいい項目はあります。

友達や恋人付き合いでも同じことですよね。

待ち合わせで遅れるときに連絡がなかったり、

プレゼントをもらったら「ありがとう」とお礼を言うこと、



 
りの
大事なことはきちんと伝えるなどをしなければ

当然、「嫌われてる?」と思われますし

その人との信頼関係はうすくなります。
 
じー
もっと言うと、相手の自尊心が傷つくので

嫌われる要因になります。


人としてのマナー、

すべては、お互いの自尊心を保って仕事を円滑にするため

トラブルなく色んな人と仕事をしやすくするためです。


そのために、

「社会人としての常識」ではなく

「人としてのマナー」が必要とわたしは思います。

まとめ

「社会人としての常識」は会社や人によって違うので、

言葉通りに真に受けなくていいです。

ただし、仕事を円滑に進めるための「人としてのマナー」は

あったほうが得です。

「社会人としての常識」というあいまいな言葉にとらわれずに

お互い人として尊重しあえる関係で

仕事ができるようがんばりたいですね。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

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